やはり現実に足が着いてなかった

毛のブログと今日のカウンセリングの話を聞いて衝撃を受けた
俺はなんだかんだ考えるのが得意と思っていた
その鼻っ柱を見事にへし折られた
曰く俺の思考が軽やかだったのは「現実認識」という重荷を持たずに飛び回っていたからであった
通常の人間は多かれ少なかれ現実認識をしながら思考をしている だから何も荷物を持たない俺から見たら思考が重く鈍く見えていた
それで無意識のうちにそう言った重荷を持つ人々のことを下に見ていたのだろう
自分が荷物を持つ番になって この見下しが今槍になって降ってきた
愚鈍で重鈍な俺を見るのが耐えられない
ここまでは「俺の身勝手さが産んだ苦痛」だ
ここから先に記すのは「原理的に苦しい苦痛」だ
現実を把握したことがないから 現実を把握する力がない
今から現実を把握しようとしても 手段が思い浮かばない
逃げているように見えるかもしれない
事実 現実がわからない
行動をしようとしても手が空を切る
焦りが募る
「やっている」にもかかわらず物理的な結果が伴わない 無能感と足踏み感が俺を苛む
そしてその物理的結果は 普通の人間が容易く実現していることだ
できたとして褒められず できなかったとして謗られる
誰も見向きもしない 評価しない 
そんな事柄を 何故やらなければならないのか……?
やはり「皆と足並みを揃えていくため」に他ならないと感じる
社会で生きるからには 他者と歩調を合わせていく必要がある
俺はそれができていると思ってた
できていなかった
現実というものはとても苦しくつらいものだった