苦手なことと得意なことの自覚

人間誰しも得意不得意があると思う 人から言われたことにせよ自覚していることにせよ だ

得意なことは経験として成功ないしはポジティブな結果を招いた体験が強く根付いており苦手なことは失敗ないしはネガティブな結果を招いた体験が強く根付いているものだと思う

加えて フレンズには「見たくないものは意識しないと見えない」という厄介なバイアスを抱えていることもある これは俺を苦しめた 意見を乞う時に「自分の欲しい意見」が先にあって それに沿わないものを無意識にせよ意識的にせよ撥ね付けていた

これは最近自覚した よくないと思ったから改めようとしたが これがなかなかに難しい
求めていない意見は「聞きたくない見たくない」ものがえてして多い

そんな不都合な現実を直視しないことを俺は選んできたのだと思う

周りからは誠実なフレンズが消えて イエスマンばかりになっていく そんなビジョンが浮かんだ

それは嫌だから 不都合でもきちんと現実を説明しているものは受け入れるようにしようと意識を変えてみた

今のところ「不都合なだけで事実ではない」と「不都合であり事実である」の区別がついていない 自分にとって耳が痛い言葉だけを集めてそれを全て事実だと思い込んでしまっている傾向はまだ消えない

これもこれで「現実が見えていない」のである 耳に痛い言葉だからって言って必ずしも俺の取り巻く環境の現実を指し示しているとは限らないのである 現実認識能力が低いと言われる所以である
どうするか

答えは簡単だが実行は易くはないものとして「現実に足を着ける」である
自分の現実に足をつけて しっかりと現実に生きることである
抽象的な言葉でしか語れなくて申し訳ないが 言えるのはこれだけでしかない

自分の見える認識できる現実と それをうまく説明しつつある「耳の痛い現実」をうまく整合付けできるかどうか
俺のこれからはそこにかかっていると言っても過言ではないかもしれない

苦手なことばかり書いてしまって表題とずれるが 勘弁してほしい
それじゃあ今日はここまで

読んでくれてありがとう
ばいちゃ