つらさの逓減
スマブラの記事を書こうとしてネタが出なくなったのでこっちに切り替えた
本題
「つらさ」というものは漠然としている この言葉だけでは「何がどうつらいのか」に焦点が当たっていないから そう感じる
「つらさ」には説明がつけられる それを人は「つらさには種類がある」と表現するらしい
俺にも「つらさ」はある 生きているので当たり前である
具体的にはどうつらいかというと「朝起きられなくて所望の予定を遂行できない」というのがある
わかっているけどどうしようもない そういう類の悩みである 夜寝れてないしね
俺を具体例に挙げて恐縮だが さて「つらさ」が具体的になった
漠然と「つらさ」があるのに対して 今の俺は「朝起きれない」という具体的な事象に還元された
この「具体化」が「つらさ」の対処に有効なのだという
こういうツイートがあった
『言語能力が高い人はストレス耐性が高い』というツイートだ
これはそのままの意味でもありうるが 俺が思うにこれは『つらさを具体的に表すことができて それが解決に寄与する可能性が高い』からだと思っている
加えて実体感として「つらさ」が詳しくなると「それ以外」のことに気を配らなくて良くなるので荷が軽くなる傾向がある
今つらい子は「それが何が原因で」「どう作用して」「どの程度」つらいのか言語化してみてほしい
もしかしたら光明に至れるかもしれない
それじゃあね
ばいちゃ