秋も近づく頃

働くようになってから稼働時間を意識するようになったし効率も重視するようになった

今まで座っていた椅子ではあまり効率がよろしくなさそうで 近いうちにもしかしたら椅子を買い換えるかもしれない でも8月の給料は9月の旅行に消える予定だし 当分は買えないかもしれない

近頃は雨が増えて梅雨さながらの天候である
8月だのに気温も25度を上回らなくなって不思議な感覚だ

COVID罹患者数は依然増加の一途を辿っている

オリンピックは結構盛り上がって終わった

一瞬で日常が過ぎていったと思う

きっと旅行も一瞬で終わるんだろうなぁ

トンガリキッズのB-DASHの歌詞について考察

もう10年くらい前になる歌なんだけど トンガリキッズっていうアーティストの歌曲に「B-DASH」というものがあった

お馴染みのマリオのBGMをバックに流しながら軽やかに歌い流れるマリオのゲームあるあるを歌詞にした歌だ

今聴いてみると今をときめく令和キッズには意味不明な歌詞が多くあるように感じる(そもそもそんな古い歌を聴くのかわからないけど)

だからちょっと考察をしてみて解説をしてみようと思う

歌詞のそのまま引用は著作権に引っかかるのでちょっと筆者でアレンジしてある

B-DASHはタイトルにもなっているのでそこは変更を加えていない

原曲歌詞はググって適宜参照していただきたい

早速やってみよう

 ちょっと速すぎやねん B-DASH

これは本当に当時はBダッシュが速すぎたことに由来する

原曲の元ネタであろうと考えられる1985年発売「スーパーマリオブラザーズ(FC)(以下SMB)」は実は「マリオ」が名前付きで主役を果たす第二作目の作品なのである

第一作目は何かというと1983年発売「マリオブラザーズ(FC)(以下MB)」であり これは横スクアクションゲームでない固定画面のゲームだった

当然「Bダッシュ」なるものもMBでは実装されておらず テケテケと歩くマリオ(とルイージ)を操作するのみであった

それがSMBでは「Bボタンを押すとダッシュができる」仕様が実装された

これは当時衝撃だったと伝えられており その速さの感動を込めた歌詞だと言える

想像するに「こんなに速い!すごい!」という子供のはしゃぐ姿が目に浮かぶような そんな歌詞である

穴に落っこちるんちゃうんか B-DASH

穴(落ちるとミス)がマリオシリーズに実装されたのも調べた限りではSMBが最初である

先の歌詞ではしゃいでいる子供が調子に乗って走り続けた結果 穴にマリオを突き落とすという失態を犯すことを諌めた歌詞であると言える

まるで一緒に遊んでいる友達が「穴に落っこちるぞー」と注意しているかのようだ

亀に激突してまうぞ B-DASH

ここでいう「亀」とはSMBにおける「ノコノコ」を指すと思われる

実は「亀」自体はMB時代にも登場しており 名前が「シェルクリーパー」と名付けられていて名前が「ノコノコ」ではなかった

シェルクリーパーはクッパをはじめとするカメ一族のモデルとなっている

MBでは敵の倒し方が今となっては特殊で「敵が歩いている床の下からジャンプで突いて無力化してから接触することで敵を倒す」ことが基本のゲームであった

余談だがのちのマリオシリーズにおいては「敵を踏んで倒す」ことが基本になるため MBを後からやったプレイヤーはその仕様の違いに面食らったというそうな

その誤解を受けてか 後世に生まれたMBリメイクの作品には「トゲゾー」に差し替えられていたりする(このキャラクターは踏めないことで有名)

本筋に戻って 亀にぶつかるというのは「Bダッシュで走りすぎて勢い余ってノコノコに接触してミス(もしくは小さくなる)」という事故を諌める歌詞と思われる

MBでもSMBでも亀にぶつかるとミスに繋がるの 特にMBは即死なので「亀には気をつけろ」という忠言であるかもしれない

 土管は地下室なんちゃうん B-DASH

今のマリオシリーズで「土管」といえば「スーパーマリオ64(N64)(以下SM64)」より主流になったワープなどに用いられたりなどある種の移動用モチーフないしはある種のシンボルとして機能しているが 実はFC時代はそのようなシンボル的代物ではなかった

MBではそもそも土管は「敵が湧いて出てくる地点」であった 設定上マリオルイージ双子兄弟は「配管工」であり MBの設定では「下水道に異常繁殖したカメ カニ ハエを退治する」というものであった

SMBではその土管に入ることができ マップが変わって地下室にアクセスできるようになる代物となった

その変化の衝撃を受けての「土管は地下室なんじゃないの」という期待を込めた歌詞と言える

 海で息できるんちゃうんか B-DASH

これはSM64より実装された「体力」ないしは「スーパーマリオサンシャイン(GC)(以下SMS)」より実装された水中で表示される「酸素ゲージ」の存在を意識していると言わざるを得ない

そもそもマリオシリーズには2Dと3Dがあり「酸素ゲージ」が実装されていないのが2Dである(わからんNew以降やってないので真かどうかは不明)

SM64をプレイして水中で酸素切れになるのを知っていた子供が初めての2Dマリオで「海で息ができる!!」と衝撃を受けたことは想像に難くない

まぁ2Dマリオには時間制限があるんですけどね(3Dにはなかったはず ギャラクシーとオデッセイ未プレイなため真偽は不明)

そんな衝撃を表現した歌詞と言えるだろう

 山も飛び越えるんちゃうんか B-DASH

これは意味わかんない こじつけるならSMBの背景に登場する山をマリオが軽々と飛び越えているように見えるからか?

あるいはSM64のステージ13「ちびでかアイランド」の山を越える表現からか?

それとも未プレイのシリーズからか?

詳細知っている方はコメントかTwitterにて連絡ください
ごめんこれは意味不明

 マリオ使いすぎちゃうか B-DASH

これはMBとSMBが二人プレイを可能としている事実を反映して「一人で遊びすぎだよ」と諌めるぼっちにはつらい歌詞である

後述の歌詞も含めて 拗ねてるのはぼっちでしか遊べない俺なんじゃい!

 ルイージ拗ねてるちゃうんか B-DASH

ファー拗ねてるのは俺じゃい!!!

キノコのこのこ 徒歩でお出まし 思ったよりも足速い

SMBで初登場を果たしたパワーアップアイテムである「スーパーキノコ」がマリオの歩行速度より若干速いことを反映した歌詞

うかうかしてると画面外に出て行っちゃうし 追いかけて事故るということが多発したそうだ

しかもSMBはリメイク作も含め「画面左に戻れない」仕様になっていた

キノコが左に「じゃあの」したときは涙を飲んだ子供も多いだろう

そんなことを達観して眺めた歌詞なんじゃないかと想像する

亀も空飛ぶ時代だぜ 昔じゃあり得ん 

 「亀も空飛ぶ」はSMBにて初登場した羽付ノコノコの「パタパタ」を指し示していると思われる

MB時代に飛ぶ敵キャラといえば「ファイターフライ」という名のハエのみだった

それが「亀」まで羽をつけて飛んでいるのだから「昔じゃあり得ん」ということなのである

コイン集めはただの趣味やで 50年代の貴重〜 

「コイン集め」はMBより実装されていた「コイン」のことを指していると思われる

SMB以降のマリオシリーズでは基本コインを100枚集めると1UPしたりスターやシャインがもらえたり何らかのご褒美をもらえる

それを指しての「趣味」ということだろうか

「50年代」は……昭和なのか1950年代なのか判別できない 1950年代なら確かに貴重だが……

 ブロック壊して許されてたけど今じゃ裁判沙汰だもんな

これはMBとSMBでの関係だけに焦点を当てたい

MBで「ブロック」というと「POWブロック」が思い当たる

これは打撃すると「地面に接している」敵キャラを無力化できる

ハエカニカメを一掃することが仕事だったMBと一転して SMBではブロックは「レンガブロック」と「?ブロック」が登場した

これは古の設定だと「クッパの魔法によって変化させられたキノコ王国の民」だという話がある

だから壊したら「裁判沙汰」なのだろう……あな恐ろしや

 もーちょっとお母さん!?もーコンセント抜けたじゃん!

 急にゲームに関係なくなって現実に引き戻される歌詞

Switchをプレイしている今時の若者にはわからないかもしれないが その昔 ゲーム機といえば携帯機でなければ「コンセントに接続して電気を供給しなければ動かなかった」のである

それが抜けてしまうと……ゲームは強制終了してしまうのだ

もークリアできたのに!掃除機かけるのやめてー!? 

 ここで「掃除機をかけていたことによってコンセントが抜けた」ことがネタバラシされる

今時の掃除機はスリムでとてもコードに足を引っ掛けるようなものではない上に家によってはルンバなどで事足りているだろう

そう 昔は掃除機も結構なデカブツだったのである

 ちょっと速すぎちゃうんか B-DASH

上と同じ意味 省略

 花火もらえないんちゃうんか B-DASH

SMBではゴールポールをつかむタイミングに残り時間の1の位が1/3/6の時その数字に応じた数の花火が打ち上がる

それを「1の位8やで」みたいな感じで指摘するちょっと細かいお友達を想像させる歌詞である

コインもらっちゃうんか B-DASH 

筆者の記憶の中では「コインは獲得するものでもらうものではない」という認識の記憶なのでこの歌詞はピンとこない……得点はもらえるけど

キノコ食べちゃうんちゃうんか B-DASH 

スーパーキノコ」のことを指しているはず

1UPキノコ」のことも指しているかもしれない

 それは速すぎるんちゃうんか B-DASH

「それは」が指すものが不明瞭なので考察に上げられない……

きっとマリオの速さなのだと思うが……

急に止まれないんちゃうんか B-DASH

穴に落ちたりノコノコに衝突したりするかもよ?という警句

 地下は焦るかもしれんよ B-DASH

 SMBでは地下の方が難しかったりする

よって制限時間を過ぎそうになって焦ったりすることがあったとかなんとか

それにパワーアップアイテムが少ないという厳しさもあったりした

故に「焦るかもしれんよ」なのかもしれない

 姫は偽物かもしれんよ B-DASH

「姫」とは「ピーチ姫」のことを示唆していると考えられる

SMBでは8ワールド4ステージのみにピーチ姫がいる

その他ワールドの4ステージにはキノピオしかいない

それを指して「姫は偽物かもしれんよ」ということなのかもしれない

余談になるが 8以外の各ワールド4ステージラストに待ち構える「クッパ」は本物ではなく

クッパの手下がクッパに化けているという小ネタがある

ファイアボールを5回当てると化けの皮が剥がれるので興味ある人はやってみるといい

空でふわふわ雲に乗って下界の民に想いを馳せるのだ 

 ここでいきなりジュゲム視点がやってくるのは何

ジュゲムはSMBでは倒すと「雲ごと」倒れるため

この当時ではマリオが「雲に乗って」下界の民に想いを馳せることはできない

これが可能になるのは「ヨッシーアイランド(SFC)(以下YI)」からであったと筆者は記憶している

以降の作品ではジュゲムを上手く倒せば(作品によっては「マリオストーリー(N64)(以下MS)」など仲間のジュゲム(ポコピー)の雲に乗せてもらえる)雲だけが残ってマリオやヨッシーが乗り物にすることが可能になるのだが 少なくともSMBでは実現しない事案である

海では優雅に25分 素潜り記録は新記録だぜ

25x60=1500秒

SMBの制限時間はせいぜい500秒なので25分も潜ってられないはず

これは謎が深い歌詞である

わかる人いたらDM飛ばして

土管もぐりはただの趣味やで コインが拾えりゃ大吉

地上ステージで地下に潜るとコインが大量に落ちているボーナスステージが待っていることがあり

それを指しての歌詞だと想像される

スーパーマリオコレクション(SFC)(以下SMC)」でのSMBは地上ステージから地下に入ると愉快な音楽が流れ ボーナスステージであることを示唆してくる

お花摘むのが好きだったけど今じゃどれもこれも所有権

これは意味不明

「お花」は「ファイヤフラワー」を指していると思われるが

「所有権」は何を意味しているのかさっぱり意味不明である

もー!ちょっとお父さん!もー!チャンネル変えないで!

今の令和人にはピンと来ないかもしれないが

当時は「テレビに繋がないとゲームができない」時代であったわけよ

だから「テレビのチャンネル」争奪戦が起きたわけ

今では考えらんないね

 もー!いいとこだったのにー!相撲は昨日も見たでしょー!?

この当時のお父さんの娯楽は野球か相撲だったのである!

 しゃがんだままでその場ジャンプ なんかちょっと愉快

SMBで十字キーを下に入れたままAボタンを押すと「マリオがしゃがんだままその場でジャンプ」する

これが愉快かはわからんが愉快なのだろう

猛烈ダッシュしゃがみジャンプ これはかなり愉快 

 ダッシュしながら十字キーを下に押してAボタンを押すとこの歌詞のような行動ができるが攻略には不要である

でも愉快なんだから仕方ないね

脱線だが「猛烈ダッシュしゃがみ滑り込み」で「ちびマリオ」じゃないと通れない隙間を「デカマリオ」でくぐり抜けることができる

スーパーマリオRPG(SFC)(以下SMRPG)」のパイプダンジョンでも同様のテクニックを要求されるシーンがある

SMRPGはほぼ立体のマップを駆け巡るので操作が変になるが一応できるのである

 

こんなところで考察終わり

役に立ったら(何の???)幸い

ばいちゃ

就活が順調なように見えているのと昨日やった集合論について

就活 順調そうに見えている

恋人からの応援も受けてミイダスで募集をかけてみたところ2社オファーがきたのだ

そのうちの1社は火曜日に面接を受けて一次試験を来週の月曜6/21に受けることになりそうだ

もう1社は今日6/19の15時から面接が入っている そこでどうなるかは見ものだが俺としては1社目を受けることになるかもしれない

2社目はお堅い雰囲気で俺には合わなそうな予感を感じている

そうも言ってられないのだから面接は受けようと思う

もしかしたらいい雰囲気の会社かもしれない むしろそうであってほしいと願っている

緊張はしないが さりとてぼーっとしてもいられないのである

そういえば

集合論の勉強も順調だ 昨日は恩師と共に恒例の集合論のゼミを開催した

そこで学んだことは次のことである

超限帰納法

非空の順序数のクラスCが以下の条件を満たすときCはOrdである

(1)0∈C

(2)α∈Cならばα+1∈C

(3)αが非零なる極限順序数でありかつβ<αなる全てのβに対してβ∈Cならばα∈C

証明は

「C=Ordでないと仮定すると¬α∈Cなる最小の順序数αが得られる これに(1)(2)(3)を適用せよ」となる

この¬α∈Cなる順序数が存在することは「順序数からなる非空のクラスの共通部分を取るとそれがそのクラスの中の最小の順序数である」という定理から導かれる

C≠OrdとするとOrd-Cが考えられる これは少なくともクラスであるのでこれの共通部分を取ると¬α∈Cなる最小の順序数αが得られるということである
得られたαがとりうる順序数の形を場合分けを用いて議論してみる

まずはαが0の時である

この時(1)より0∈Cであるから¬α∈Cと矛盾する

次にαが後続型順序数である時である

この時あるβを用いてα=β+1と書ける よって¬β+1∈Cである

(2)の対偶により¬β∈Cであるがβ<αでありαは「Cに属さない最小の順序数」であることに反する よって矛盾である

最後にαが0でない極限順序数の時である

αは非零の極限順序数であり また「αはCに属さない最小の順序数」であることからβ<αなる全てのβに対してβ∈Cであることが言える

これは(3)の条件を満たし α∈Cである これは¬α∈Cと矛盾する

したがって上記の議論によってαがとりうる全ての順序数の場合において¬α∈Cが否定されたため このような「C=Ordでない」という命題は棄却され「C=Ordである」が導かれたのである

Jechではこの定理を「超限帰納法の定理」としているが 普段我々が目にするような「0の場合での定義」「後続型順序数の場合の定義」「極限順序数の場合の定義」という三段ステップを踏んでいるかのように見える

これ以上は想像なのでもし間違っていたらマサカリを投げてほしいのだが

超限帰納法は順序数全体を渡る帰納法で 全体を渡らせるためにはこのような三段ステップを踏ませることによって実現しているのではないかと考えている

超限再帰の定理がこの後に待っているが おそらくは似たようなものになるのではないかと考えている

さてここで筆をおこうじゃないか

読んでくれてありがとう

ばいちゃ

苦手なことと得意なことの自覚

人間誰しも得意不得意があると思う 人から言われたことにせよ自覚していることにせよ だ

得意なことは経験として成功ないしはポジティブな結果を招いた体験が強く根付いており苦手なことは失敗ないしはネガティブな結果を招いた体験が強く根付いているものだと思う

加えて フレンズには「見たくないものは意識しないと見えない」という厄介なバイアスを抱えていることもある これは俺を苦しめた 意見を乞う時に「自分の欲しい意見」が先にあって それに沿わないものを無意識にせよ意識的にせよ撥ね付けていた

これは最近自覚した よくないと思ったから改めようとしたが これがなかなかに難しい
求めていない意見は「聞きたくない見たくない」ものがえてして多い

そんな不都合な現実を直視しないことを俺は選んできたのだと思う

周りからは誠実なフレンズが消えて イエスマンばかりになっていく そんなビジョンが浮かんだ

それは嫌だから 不都合でもきちんと現実を説明しているものは受け入れるようにしようと意識を変えてみた

今のところ「不都合なだけで事実ではない」と「不都合であり事実である」の区別がついていない 自分にとって耳が痛い言葉だけを集めてそれを全て事実だと思い込んでしまっている傾向はまだ消えない

これもこれで「現実が見えていない」のである 耳に痛い言葉だからって言って必ずしも俺の取り巻く環境の現実を指し示しているとは限らないのである 現実認識能力が低いと言われる所以である
どうするか

答えは簡単だが実行は易くはないものとして「現実に足を着ける」である
自分の現実に足をつけて しっかりと現実に生きることである
抽象的な言葉でしか語れなくて申し訳ないが 言えるのはこれだけでしかない

自分の見える認識できる現実と それをうまく説明しつつある「耳の痛い現実」をうまく整合付けできるかどうか
俺のこれからはそこにかかっていると言っても過言ではないかもしれない

苦手なことばかり書いてしまって表題とずれるが 勘弁してほしい
それじゃあ今日はここまで

読んでくれてありがとう
ばいちゃ

話すスキルと書くスキルについて

書くこと話すことのうち話すこと

書くことも話すこともフレンズそれぞれ違う能力を発露させていることだろう

書く方が得意なフレンズもいれば 話すことが得意なフレンズもいるだろう

俺はどちらかというと話す方が得意なフレンズだった はずだった

昨日(2021/05/21)18時あたりにツイキャスを開いてみたらその喋れなさ ネタのなさ 間の開きぶりに自分で唖然としてしまった

俺はキャスのような自分が喋る場を提供する場になると 間を開かせたり無言の時間を与えてはならないと思っているから その事実を認識するのに苦痛が伴った 俺は喋れていない

基本俺のキャスは俺が一方的に喋くってそれをリスナーが聞いて コメントを打ってもらってそれを俺がまた読み上げてというのを繰り返すスタイルなんだけど リスナーがいないと全くこれのサイクルが回らない

昨日はキャスにリスナーが少なかった せんのことダルイくんと仁奈ちゃんくらいしかいなかった いや折ばんちゃんもいた とにかくそれくらいの人数だったので 回すのが難しかった

話題提供ができなかったのもある 皆が食いつく話題というものを考えるのを怠ってしまっていた このご時世なら明るい話題に飛びつきたいものだが 俺自身が明るい話題にありつけていないのでどうも明るくならない COVIDで暗いご時世 ワクチンがどうのとか五輪開催がどうのとかは政治性も帯びるしそもそも明るくないので不適切だ

書くこと話すことのうち書くこと

そして書くことはどうだろうか ご覧の通りだらだらながらも長くは書けてしまっている

俺は書くのは苦手な部類だ 毛とか線とかの頭いい連中は文字書くのが上手く文章構成もしっかりしているから読ませるものを書きやすい

俺は文章を書くとき しゃべり言葉を多用しがちだ それはひいては読む際にリズムの崩れにつながって可読性を損ねる可能性が高い しゃべり言葉を禁じても書き言葉の語彙が不足しているせいで 書きたいものが書けないということもある

そんなこんなで俺は書くのは苦手だが いくらでもだらだら長く書き連ねることはできてしまう

それは文字は残るからだ 思いついた文章を片っ端から入力していけば見た目はしっかりした文章のように見える それを目で追って読み上げれば 馴染みのある喋り言葉になって再生される
これが俺が「文章は書けるよ」と自分を錯覚するに至った認識の齟齬であろう

俺は文章が苦手なんだな と自覚の隅に置いておいて 文章を書く訓練をこれから積んでいこうと思う

日記 昨日あったことのおさらい

昨日は14時ごろの遅い起床で せんのこのMCをもらってうんうん唸りながら起床した

その後遅い昼飯兼朝飯を頂いて ツイキャスを始めたんだったか 昨日は何があったかあまり覚えていない
父親の帰りが遅くなることをメールで貰って この日は20時15分から数学の集合論のゼミだったからゼミをやっていることを伝えてツイキャスに引っ込んだ

ツイキャスでは前述のトークスキルの話や リスナー兼フォロワーの仁奈ちゃんの「喋り言葉が固い」ことについていろいろ意見を交わしたりした

せんのこのアドバイスが逐一的を射ていたので感心すること頻りであった

その後せんのこは夕飯で離脱して 仁奈ちゃんとダルイくんの3人でキャスをやっていた
そのうちゼミの時間がやってきたからキャスを切り上げて ゼミに向かったのだった

ゼミはいつもお世話になっているすごい先生と通常1対1でのゼミだ

その先生はどうすごいかというのを書くと特定に至り 先生に大迷惑がかかることが予想されるので ぼかすと 数学のめちゃくちゃ難しい分野のめちゃくちゃすごい人とぼかして書くことにする

で その先生とサシでオンラインで毎週金曜日にゼミを開催しているのである

内容は集合論 聞いたこともある人もいるかもしれない かの有名なJech本である

この本はこのブログでは初登場するが 俺や俺らきょうだい(特に線狐梟夢)が愛読している集合論の本である

細かなトピックを基礎的事項から集積して 発展的な集合論の話題の上にさらに選択的話題を取り入れて浩瀚な大部の本に仕上がっている 読みこなすのは並大抵ではないと言われなくてもわかるほどの太い本である

この本は証明がギュッと詰められていて「それは本当にそうか?」と疑う姿勢で(その姿勢が基本的数学徒の姿勢なのであるが)読んでいるとあっという間に行間に飲み込まれてしまう

簡単にいうと 証明そのものはわかりやすく無駄がなく癖もなく変なギャップもなく読み込みやすくて飲み込みやすいのだが 下手に読むと無意識のうちに飛ばしていた必要な事実を見落としてしまうのである

そんな例でいうと例えば 整列集合Wの元xによる始切片W(x)と順序同型な順序数αxが存在して このαxは一意であることがわかる(なぜならば W(x)と同型な順序数が相異なる二つの順序数αxとα'xとなってしまうと これら順序数は相異なることと 順序数は全順序集合であることから片方の順序数は片方の始切片となってしまう したがって「任意の整列集合は自身の始切片への順序同型を持たない」という定理に反してしまうことになる よってW(x)に順序同型な順序数は一意であると言えるわけだ)

ここでF(x)=αと定めてみる F(x)は言うなれば「W(x)と順序同型な一意な順序数α」だ

Fは論理式で書ける上に関数的(二項関係fのうち 1引数目に対して2引数目が存在しかつ一意に定まるような関係)であるから クラスFは関数であることはわかる
よって「クラスFという関数の集合Xによる像F"Xは集合となる」という主張の置換公理によりF"Wは集合となることがわかる

次にF"Wは単なる集合であることがわかったのだから真のクラスであるところのOrdとは異なることがわかりF"W≠Ordとなる

よってF"Wに所属しない順序数が存在してその最小のものが存在する これをγとおく

するとここでいきなり「F"W=γ」という主張が飛び出してくるのである

ダチの数学強強マンは「え 自明じゃん」って思ったって聞いたけど俺には自明じゃねえんだよ!

いや確かになんとなくっていうか「そうならざるを得ないじゃん」とは俺も思うんだけども

いきなり「F"W=γ」って言われたら「なんぞ!?」ってなるのよ 修行が足りないのか そうなのか

幸にしてF"Wは集合だし γは順序数だしつまり集合なので 集合の包含関係を両側向きに示せば良いことはわかった

F"W⊆γを昨日は示した

α∈F"Wとする α∈γを示したい

これこのままやると頓死するので順序数の所属関係を<で置き換えたもので考えると上手くいった

つまりα<γを示すのである どうやるかっていうと 思い出して欲しいのは順序数は全順序集合であったことである
だからα=γ γ<αが成り立たないことを見てα<γが成り立つことをみるという方式だ

まずα=γとして矛盾を導く これはγ∈F"Wを意味し γの定義に反するので矛盾である よって矛盾

次にγ<αとして矛盾を導く これはFの性質を用いることになる まずはα∈F"Wより F(x)=αとなるようなx∈Wが存在することは良いだろうか これによりW(x)~=αである

また一方γ<αとして矛盾を導く 前述よりW(x)~=αであり γ<αより y<xなるy∈W(x)に対し W(x)(y)~=γとなる 始切片の始切片は単なる始切片なのでW(y)~=γであり よってγ=F(y)となる

するとγ∈F"Wとなる これはγの定義に反する したがって矛盾である

以上の議論によりα<γのみが成り立つ よってα∈γである

次に示すべきはγ⊆F"Wであった

α∈γとする α∈F"Wを示したい

γは「F"Wに属さないもので最小の順序数」なのであったから「γより小さい順序数は全てF"Wに属する」と言える
α∈γはα<γと言えたのだった よってα∈F"Wと言える

以上の議論によりF"W=γが言えたことになる

 

振り返って 今回のゼミは あまりできの良いものではなかったと評せざるを得ない

というのも これは事後に先生に指摘された事柄であるが 俺はゼミの時間中に長考に入ってしまう悪癖がある 通常の数学科の学部生ないしは院生ではこのような行為はタブーとされ 教官に「勉強してきたのか」と指摘されてしまうことがあるとのことだ

俺は実は数学科出身でない 情報工学科出身である つまりは学部生相当の数学の知識と数学の作法を身に備えていないのである

昔から数学に憧れていて 数学をこの手でやりたいと思っていた俺だからこそ ゼミに打ち込む姿勢は真面目なものとして取り組みたい

俺は数学の議論構成力がまだ足りていないことを自覚している
自習準備を進める段階において どのような点が足りないか どのような点が議論を要するのか
その辺りの見極めもかなり下手である
書いてあることを鵜呑みにして 疑問を持たずに素通りしてきてしまっていた
最近は行間に気づくことも多いが 気づいたとて埋められない行間もまだまだ多い

数学は鍛錬であると思わされた1日であったことであることよ

さていろいろ散らばったが昨日の後半はゼミが終わった後

さちいくんのキャスにお邪魔していた そこでも仁奈ちゃんがきていていろいろ話をした
途中キャスにあーろんくんが上がって 数学の話をしてくれた 仁奈ちゃんは小学生なのに「ゲンツェン流」だとか「直観主義論理」だとか「推件式計算」だとか 俺ですら知ったばかりの語彙をポンポン並べてあーろんくんとまともに話し合っていたので再びたまげるなどした

そしてあーろんくんが寝た後 マンガスをプレイしてたせんのこから通話が来て
薬を飲んで話しながら眠りについたのだった

これが昨日起きた出来事の中で俺が覚えている限りのこと

途中交代あったように思うけれど あまり印象深くなかったので覚えていない

もしかしたら交代があったのかもしれない 記録に残らない交代もままある

今日も俺はやっていきます

ばいちゃ

やはり現実に足が着いてなかった

毛のブログと今日のカウンセリングの話を聞いて衝撃を受けた
俺はなんだかんだ考えるのが得意と思っていた
その鼻っ柱を見事にへし折られた
曰く俺の思考が軽やかだったのは「現実認識」という重荷を持たずに飛び回っていたからであった
通常の人間は多かれ少なかれ現実認識をしながら思考をしている だから何も荷物を持たない俺から見たら思考が重く鈍く見えていた
それで無意識のうちにそう言った重荷を持つ人々のことを下に見ていたのだろう
自分が荷物を持つ番になって この見下しが今槍になって降ってきた
愚鈍で重鈍な俺を見るのが耐えられない
ここまでは「俺の身勝手さが産んだ苦痛」だ
ここから先に記すのは「原理的に苦しい苦痛」だ
現実を把握したことがないから 現実を把握する力がない
今から現実を把握しようとしても 手段が思い浮かばない
逃げているように見えるかもしれない
事実 現実がわからない
行動をしようとしても手が空を切る
焦りが募る
「やっている」にもかかわらず物理的な結果が伴わない 無能感と足踏み感が俺を苛む
そしてその物理的結果は 普通の人間が容易く実現していることだ
できたとして褒められず できなかったとして謗られる
誰も見向きもしない 評価しない 
そんな事柄を 何故やらなければならないのか……?
やはり「皆と足並みを揃えていくため」に他ならないと感じる
社会で生きるからには 他者と歩調を合わせていく必要がある
俺はそれができていると思ってた
できていなかった
現実というものはとても苦しくつらいものだった

嘘をついているわけではないが結果的に嘘になってしまう

こうなってると思って発言した発話が現実を全く説明してなくて結果嘘になるということがここ最近で多すぎると俺の中で話題に

うまくいかないことだらけで嫌になるけど それに直面した時にどれだけ心を折らないでいけるかがキモになるんだろうなと思ったりする

考えてもわからない

何もわからない

行動したいと思う 思ってるけど足は足踏みするし手は空を切る

どうしたらいいんだろう

具体的に行動をしたい

それが自分ではわからない……

どうしたらいいのか