つらさの逓減

スマブラの記事を書こうとしてネタが出なくなったのでこっちに切り替えた

本題

「つらさ」というものは漠然としている この言葉だけでは「何がどうつらいのか」に焦点が当たっていないから そう感じる

「つらさ」には説明がつけられる それを人は「つらさには種類がある」と表現するらしい

俺にも「つらさ」はある 生きているので当たり前である

具体的にはどうつらいかというと「朝起きられなくて所望の予定を遂行できない」というのがある

わかっているけどどうしようもない そういう類の悩みである 夜寝れてないしね

俺を具体例に挙げて恐縮だが さて「つらさ」が具体的になった

漠然と「つらさ」があるのに対して 今の俺は「朝起きれない」という具体的な事象に還元された

この「具体化」が「つらさ」の対処に有効なのだという

こういうツイートがあった

『言語能力が高い人はストレス耐性が高い』というツイートだ

これはそのままの意味でもありうるが 俺が思うにこれは『つらさを具体的に表すことができて それが解決に寄与する可能性が高い』からだと思っている

加えて実体感として「つらさ」が詳しくなると「それ以外」のことに気を配らなくて良くなるので荷が軽くなる傾向がある

今つらい子は「それが何が原因で」「どう作用して」「どの程度」つらいのか言語化してみてほしい

もしかしたら光明に至れるかもしれない

 

それじゃあね

ばいちゃ

就労移行支援に通おうとして挫折した話

よ 久しぶりだな まる300日間ずっと放置してたんだからそりゃ読者が離れていくわけよな

まあいいや本題といこう

実はここ一週間 就労移行支援に通ってたんだ
と言うのは若干嘘で というのも 通うつもりだった一週間のうち半分を寝坊でぶっちぎってしまったんだ これが精神に良くない影響を与えた

ここを読んでくれているみんなは知っていると思うけれど 実は俺には結婚したい恋人がいるんだ その恋人と結婚生活を送るにあたって 彼女の居住地に引っ越したいと思うようになった

とある事情で金銭面だけは工面できそうなんだけど ところがダチ曰く物件を借りるには「収入の証明」が必要になるらしいとわかった これを用意しないことには何にもならないだろうと言うことで就職をしたいと思うようになり 転職サイトで引っかからない 面接に受かっても内定取り消しをされるなどの憂き目を見ていよいよカウンセラに「就労移行支援にもう一度通ってみるのはいかがか」と提案されるに至り こうして就労移行支援に通うことになったのだった

この就労移行支援事業所は昨年の3月にも世話になっており いわゆる出戻りという形になっている ここで慣れていたはずのことがところが今年の4月に至って全然できていないと気づいて俺は深甚に落ち込んでしまった とここまでが文脈

俺には就労移行支援に通う前に色々と葛藤があった 「また通えなくなるのではないか」「就職に一直線の方が良いのではないか」「足踏みに終わらせたくない」と就労移行支援事業所に通うのに抵抗を見せていた

そんな俺が就労移行支援に行くことを決心したのはやはり「彼女と暮らしたいから」である

就職に足りない要素があるのであればそれを埋め合わせればよく カウンセラの見立てによればそれは就労移行支援事業所で埋め合わせられるとのことだった

なれば通う方が彼女との暮らしを実現させる第一歩になるのではないかとそう考えた次第である

ところが俺は朝に弱い すごく弱い どれだけ弱いかというと モーニングコールを毎朝彼女からもらってるのだが それをぶっちぎって起床するのが14時から21時になるほどである もはや夜である

そうなった日は決まって破滅してろくに活動もできないで終わってしまうのがオチなんだ

就労移行支援事業所に通えばマシになるかなと思って望んでみたがとんだ見当違いだった

無論俺が起きれないのが悪い が どんな努力も水泡に帰すのであれば萎えてしまうのは人間の習性と言えるだろう

先週4月21日(水)に通院して 4月22日(木)にカウンセリングに行ったのち 4月23日(金)は寝ぶっちして完全に気力が萎えていた

Twitterでも「寝ぶっちした 萎えた」などのツイートを残しているから読者には記憶に新しかろう

そんなこんなで俺の就労移行支援事業所体験通所は不完全なままに終わりを迎えた

一応残日はあるからその振替をしようかというところで事業所からメールが飛んできて「振替の前に主治医に相談して通所できるかどうか検討してからではどうか」と提案がきた

ありがたい話ではあるが 実は主治医にはどういうわけか「寝れてます 起きれています」と嘘をついてしまっている手前 どう相談したらいいかわからない状態なのである
いやこの歳にもなって嘘つくとかマジかよって思うけれど 主治医の圧(そんなものはないだろうが俺は感じている)によってそう言ってしまっているのである

治療的関係において嘘虚偽はご法度であるが 俺は医者によく見られたいと思うがあまりに生活を上向きに報告している
それが乖離を生んで齟齬をきたしていることは明白なんだが 誰にもわからない力によって「順調です」と言ってしまっている よくない

恋人には無論バレている というかモーニングコール入れておいて なおかつ 起きないことを目の当たりにされているのでバレるどころの話ではなくそもそも隠しだてができない

というか医者に嘘をついていることはこのブログで初めて吐露することであるからこのブログを読んだ恋人はきっと落胆するだろうし とても怖い

でもありのままを綴らないとブログの意味がないから綴る

公開ボタンを押すのがとても怖い

というところで結局

・どうしたら朝に起きられるの?

・どうしたら就労移行支援に通えるの?

・どうしたら就職できるの?

という疑問をまとめて読者に投げておきます

それじゃ終わるよ

ばいちゃ

文章の力と考える力について

よ 久々に短期スパンで更新してみた 今日語りたいのは文章の力と考える力だ 言うまでもなく俺はこれらの力が足りない 毛はよくやっていると思う 毛はすごい 彼奴は言語力に極振りされた思考を持ってるからブログを書くのが本当に上手い

脱線したから話を戻すと ようはこれらの力って連関しているよねっていう話をしたかった 文章の力は考える力と連関している それは以下の観察によるものだ

文章には書くやつと読むやつがいるその繋がりが担保されるように書くやつは調整しなきゃいけないし 読むやつは一生懸命読まなくちゃいけない 今日は書く側の視点に絞って書く

文章には目的がある 日記として自分に読ませるやつ 公開して他人に読ませるやつ 特定の誰かに一方的に送る私信 誰かたちに向けたメッセージ どれを取っても一つ言えることは「読まれる」ことを意識していることだ 読めない文章には意味がない だから読める文章にする必要がある ここに文章力の鍵があると思っている

読める文章は読める そこに書いてあることを読み取って意味を拾える だから表現や語彙を潤沢に用意しておくのは望ましいことであると考えている 言葉の種類が多くなればそれだけ拾ってもらいやすくなるし 細かな違いを語彙の差で表現することもできるからだ 語彙は大事 足りないと思ったら辞書を読んで補うとかもできるから積極的に辞書を活用して欲しい 紙の辞書なんかおすすめだ 紙の辞書は旅ができる 目的の言葉を調べるのに他の言葉に寄り道して調べることもできるからだ

しかしおそらく語彙力だけが問題ではない もちろん語彙量が多ければ豊かな文章に見えるし それだけで一目置かれることもあるだろう しかしそこだけが問題ではない

「文章に目的がある」と上に書いた まさしくその「目的」こそが重要で 何を伝えたいのかを考える必要があるわけだ 俺のこの文章は「考えることと文章を書くことは重要だ」と伝えたい上に「それを養うにはどうしたらいいか」をも載せたいと考えている それが伝わるように書いているつもりだ 伝わっていたら幸いであることよ

「目的」とは何か この文章なら「考えることと文章を書くことは重要だ」ということを広く人に伝えたいとなる いわば目標とも言える 書いて何をしたいのか意識をする そのための補強を本文中でやっていることになる 目的とはいわば伝えるための前準備とさえ言えるのではないか

文章を書くのは大抵の人には難しく感じているだろうが その原因は明確で「目的」がないからだと言える 目的の他にも「結論は何か」を意識しないと中身がブレる 目的と結論をしっかり意識して書けば とりあえずはまとまった文章にはなると考えている

君は何を書きたい?それを紙に書き出して 文で補強すればとりあえずは文章が書けるはずだ

文章を書くのは難しいが 最初のとっかかりは難しくない 書きたいことと目的と結論を用意してやり あとは文で補強するだけだからだ 最初の一歩は日記からでいいと思う その日あったことをつらつら書き述べているだけで格好のついた文章にはなる さらには目的意識を持って例えば「この日あったことを整理して後日の自分が読んだ時に情景が思い浮かぶようにしたい」とかでもいいだろう

まずは目的と結論を用意して書くことだ そうすれば文章は下手でも書けるものだと思う 俺がそうなっているように

後述する思考力の問題にも関わってくるが日記はいい訓練になると思う 感じたことや思ったことを自分なりに素直に書くだけで良いのだから 誰かに見られる恐れがない日記ならば自由に書ける ただし人間は自由すぎると選択力が落ちることが実証されているらしいので あんまり自由すぎて困るときはお題を決めて書けばいい 例えば「今日あったこと」でいっぱいいっぱいになってしまうなら「今日あった嬉しいこと」でもいい 絞って書くと 意外にも書けるものである

ところで文章を書く力は 目的によっても決まってくる 日記なら日記なりの文章力の鍛え方があるし 論文なら論文なりの鍛え方がある 自分がどのような文章を書くのかをはっきりと意識しながら 到達点を予測して逆算して訓練するといいと思う 俺は論文を書いたときはそのようにして書いた 到底いわゆる論文らしい論文ではなかったが教授には褒められた それは余談

日記は書ける 論文は書ける 手紙も書ける ブログも書ける 君がそうなれたらいいな

文章力編が長くなった 今度は思考力 とりわけ言語的思考力に関する事柄だ 今度は抽象的になるから肩の力を抜いて読んでほしい いや 俺のブログで肩肘張るなんてことはしないと思うが念のため

言語的思考力は言語で思考する力のことを指す 言葉を使って思考する つまり俺が今やっていることだ 他にも論理的推論や演繹なども言語的思考力に含まれる 論理は言葉の最たるものだと思う 「論」という言葉自体に「言葉のつながり」という意味があるからだ 論理とはその決まりや法則のこと だから「論理的だ」という形容詞にはいろんなものが当てはまり得る 言葉がつながっていればいいのだから

よくインテリが「それは論理的でない」という表現をするステレオタイプなシーンがあるけれど俺に言わせると言葉がつながって妥当ならそれは論理的帰結なのだからそんな怒んなよって思う 論理的の対極は感情的と言われがちだけどそれは俺は違うと思ってて全く違う土俵の事柄だと思っている 「感情論も論のうち」って言葉を俺のきょうだいが言ってたけれど全くその通りで 感情的に発せられた言葉がつながっているならそれは感情的であり論理的だと思う

論理に言葉を割きすぎた 言語的思考力は言語を使って思考する力のことだった それは論理を土台にして積み上がった一種の構築物であると感じる 「論理的」の射程はさっきも言った通りに割と広い 形式論理でもない限り 論理の射程はかなり広い そこには君独自の論理も含まれているだろう 言葉をつなげる営為においては君は自由だからだ

言語的思考力は「言葉をつなげていく連想ゲーム」に近いと思う 連想ゲームそのものではつながりが飛躍することもあるけれど 言葉を妥当につなげていくとそれなりに飛躍の少ないものにはなる それが言語的思考だと思う

人間には事象を完璧に捉える能力がない 4次元時空間上の物体を観察することを例にとってしても その全ての側面を一度に同時に正確に把握することができない 故に人間は事象を完璧には捉えられないとなる つまりは人間は事象の一側面をぶっかいて自分の中に取り込んでいるにすぎないのである

話は戻って 言語的思考力は捉え切った事象の中でさらにどれを描き出すかに焦点を当てたものだと思う 更なる捨象を行う そうして行く末に出来上がるものが文章なのではないかなという感じ

文章力と違って言語的思考力は大変鍛えづらいものだと思う 言語的思考そのものが意識して行われる思考ではない部分もあるからだ 「自覚は言語化」って俺は常日頃言っているけれど それに表れるように 思考には非言語と言語に分かれるものと 無意識と意識に分かれるものがあると思っている 無意識の言語化は意識されないのでわからないためなんとも言えないが そこから意識の領域内に持ってくることは可能だと思う

普段はスルーしがちな景色を眺めて「これは木だ」「これは鳥だ」と具に内部言語で呟くのは良い選択肢だと思う 観察文だけを述べるのではなく さらに発展して「昨夜の雨で木々の葉っぱがしずくを湛えている」と表現するように持っていくのもいいだろう まだ観察文の域を出ないからさらに発展して「鳥たちが低く飛んでいるということは 餌の虫が低く飛んでいるのだろうか」 とか「木々の葉っぱが濡れているのは昨夜の雨の影響だろうか」などと考えるのも論理的思考につながっていいと思う

言語的思考は普段スルーしている自分への刺激とその反応を自覚に引き寄せる力も持っている 上にも書いたように日記は自覚の塊だ 感じたこと思ったことを書くというのはとりもなおさず「受けた刺激に対する反応を言語化」していることになる 刺激の反芻とその反応の回顧で日記は書けると思っている 逆に言えば 自覚がなければ日記は書けないと思う そういう意味で目的と結論を持ってくるための材料が自覚になるのかなと思うのだな

自覚 俺は言語的思考で考えて引き寄せてるけれど 自覚には非言語的なものも当然あって それでもって他の技能を磨くということもできるはずで 実際にアスリートなんかはそうしてると思っている プロの数学者なんかも自覚してやっていってると思う

ここでは言語的自覚にさらに話を絞っていく 意識の中に言語的思考を持ってくることで自覚が生まれるという話を書いたが さらにもう一段何かあると思っていて それがなんなのかを掴めないでいる これは俺の自覚観の問題で もうちょい鍛える必要があるということの証拠だと思っている 鍛錬するから見ててくれよなー

ただ何かあるとすればそれは「気づき」の連鎖かもしれなくて それをもたらすきっかけになることは他人からの助言であるかもしれないし 自分の観察の結果であるかもしれない 人間は全部をわかれない わかれないからもがいてわかっていく その営みを重ねて成長するのが人間なんじゃないかなと思うわけね

俺らしくない文章の上になかなか長くなったが ここまで読んでくれてありがとうな まとまってない文章を晒すのは恥ずかしさもあるけれどある種の爽快感もあるな 本当読んでくれてありがとう 助かる

ばいちゃ

塾講師に応募した

よ ブログじゃ久しぶりだな しばらく事業所や就活などをほっぽり投げてTwitterや数学に溺れる日々を過ごしていたよ ニートっていいけどだらだらしちまうよな

起きる時間が遅くなったり 寝る時間も遅くなったり 24時間のリズムが狂っちまったりする

この間に人格が増えたりしたんだけどそれを語ると長くなっちまうから今度に回させてもらうな

さて 表題の通り 塾講師に応募させてもらった

きっかけはダチに塾講師がいるんだけど 彼に影響されて塾講師になりたいと思って応募した

彼は数学と英語を教えられるハイスペックマンだ 美人の彼女さん(俺の彼女も可愛いけどな)がいてそのひとと同棲しながら塾講をしているひとだ

俺は就活で面接に落ち続ける日々を過ごす中で いつしか「人と関われるならなんでもいいのでは」と思うようになってきた いわばヤケクソになっていた

ヤケクソついでって言うと塾講師を真剣にやっているダチに失礼だが そのついでにバイトに応募することになった そこに塾講師の選択肢が出てきたという感じだった 当然だがテキトーにやるつもりではなく きちんと真剣に取り組むつもりではある

俺は学部教養時代に塾講師をやっていた経験が一応ある 個人経営の小さい個別指導塾だったけど そこでの経験を活かせたらいいと思った

数学はⅢまで教えられるし化学も物理も旧課程のⅡまで教えられる 英語は問題ないし国語もいける 多分塾講師としては問題ない知識量だと自負している

数学をどこまで教えられるか いわゆる難関大学の入試問題を答えなしで解けるかと言われると怪しいところはあるけども

金曜に試験があるのでその結果次第でここに書くことも変わると思う

今ではまだ受かってないので 浮かれて書きすぎて落ちたらみっともないのでこの辺でやめておこうと思う

 

ばいちゃ

意見の形成と考える力について

表題は俺らしからぬガッチガチな物だけど中身は今までの俺なのでゆっくり構えず気軽に聞いてくれよな

最近トラブった 喧嘩したわけじゃない とりあえずトラブった 関係者は暗い気持ちになったけれど起きてしまったものはしょうがない 時間が解決するのを待つしかない

で 本題

トラブルの根幹でもある事案 意見の形成だ

「意見」とは ググった結果によると「ある問題についての見解 考え」とある

つまりは意見は思考の結果というようになる 意見の形成とは思考の結果だ

ここでとある知人による意見についての考えを述べたい

「考えることは生きること」「反論がないのは怖い」「意見を形成するのは必須」

ちょっと特定を避けるために表現を歪めてあるけれど 大体はこんな感じの考えだった

ここで俺は意見というものに対して持論を語りたい

意見を述べるというのはとりもなおさず「考えること」を必要とする 考えなしでは自分の意見などは生れようはずもない

この「考えること」というのが曲者だと思っている

「考えること」には「言葉」を必要とする だから言葉を操れない 言葉を知らない人間にとってはこれは非常に難しいものになってしまう

俺自身も言葉が不自由な部類に入る だから考えを述べるのにもかなり時間がかかったり うまく表現できなかったりすることもある このブログ読んでると感じるだろ もどかしさを覚えるだろ そのもどかしさはほとんど俺が感じているものと一緒だと思ってくれていい 俺ももがいている

だから 意見を持たない者たちの考えとか 行動の理由がわかる気がする時がある

「考えることは生きること」という考えだけれど 俺はこれに対して反論したい

中には言葉の関係の不都合で「文字だけで考えることが満足にできない」連中もいるということを知っておいてほしい

そんな連中にとっては感情を表現する手段が「すでに言葉によって表現されている事柄」を選んで自分の主張に替えることしか許されていない 誰が許す許さないではなく これは宿命みたいなものだと思っている

自分の感情を表現できないから その感情に近い表現を見ると たとえ的確に表現できていなかったとしてもそいつは「その言葉こそが自分の感情を的確に説明している」と勘違いしてしまってその言葉を選んでしまう 俺が考えるときに「これが答えっぽい」と飛びついてしまうのに似ているな まさにそれなんだ バカの考え休むに似たりという言葉があるけれど 俺に関してはそれが当てはまってしまっている

付和雷同は意見を持たない者ではなく 言葉を持たない者にもたらされた逃げ道なのだと思う

「意見を形成するのは必須」というのもわかる だけれどさっき述べたことと同じように 言葉を持たない奴らにはそれはできないんだ 俺はかろうじてこのように意見を文章に変換できている でもそれすらもできない奴が世の中にはごまんといる 意見を言わない奴は好き好んで言わないわけじゃない 「言えない」こともあり得るんだ

感情を言葉にする訓練を怠ったとか そういうのではなく たまたまそれでいても生きてこれてしまったからだと思う 感情はこの文字だけの世界においては文字のみでしか伝えることはできない

文字を使って何かを伝える必要に駆られてこなかったから 文字で感情を伝えられなくなってしまったのだろうと思う

そしてそれは必ずしも悪いことではない と俺は思う 文字でのやり取りが通貨になっている世界ではそれは悪になるのだろう でもこの世の中 文字だけのやり取りでは成立していない

身振り手振りや表情の微妙な差異でやり取りする世界の方が圧倒的だ

でもネットではそうではないのはわかる

現代ではネットが発達してきて リアルと並び立とうとしている

だから文字でのやり取りが価値を持つようになったのだろう

そのため意見を形成することの価値も大きくなってきた

感情を言葉にすることは大切だという価値観が台頭してきたのだ

でも俺は「文字だけの世界では言葉を持たない奴ら」のことを擁護したいと思う

だってこいつらは 文字だけの世界で今まで生きてこなかったから これから生きようとする奴らだから

だから 言葉を持たない奴らでも 生きていていい 存在していていい となる価値観も生まれてほしいと思う

ネットの世界は文字だらけだ 文字が優勢で言葉も文字だけだ 文字だけの表現はリアルの無限に見える選択肢を持つ世界に比べて非常に狭い 書いてあることだけしか汲み取れないからだ

俺も難儀している どう書けば伝わるのかとか どういう言葉が的確なのか とか 考えるだけでかなり頭を使う 前の記事でも書いたけれど 『なんで』を意識するだけで頭が疲れてしまう 俺は考えるのに向いてないと感じる 情けない話だとも思う

でも 俺みたいなやつでも この世界で生きていていいという承認は欲しいと感じる

わがままかもしれないが 俺だってこの世界で人と繋がりたいし 知りたいし 友達になりたいと思う 昔はそうじゃなかったけれど 今ではそう思っている

最後になったけど「反論がないのは怖い」ということ

例の知人はそう言っていたけれど これも別に怖がることじゃないと思っている

反論がないのは俺が考える限りだと「反論が思いつかない」か「その意見がその場所では絶対的に正しい正論である」かの二択だと思っている

反論がない状態が進むと先鋭化してしまって そいつが独裁者であるかのように振る舞えてしまえるのがあり得ると知人は言う

必ずしもそうじゃないと俺は思う その場の意見が絶対的に正しいというのはあり得る

だからといって意見者が独裁者になるとは考えづらい

さっきも書いた通りに 意見を形成するには考えが必要になり そのためには言葉として外の世界に出す必要がある

それができなければ その空間で反論が出てこないのは当たり前だ

もし反論が欲しいというのであればその空間の中の構成員の一人一人が自分の言葉で意見を述べられるようにならなければならないことになるが それはやはり酷な話だと思う

だって奴らは文字で言葉を述べる必要がなかったから だから述べることができない

それをいきなり「意見を述べろ」と言われても すぐにササっとかけるやつなんかほとんどいないだろう よくて居たとしても 的外れな意見になるに違いない

反論が欲しいと思うなら 自分が働きかけて相手の感情を代筆してやるくらいのことをしなければ難しいかもしれない

でもそれだって「誘導尋問で得られた意見だ」と言われたら崩壊してしまう

反論を欲しがるのは 俺はその空間においては 難しいものだな と思うのだ

以上をなんとかまとめれば考える力は文字の言葉の力と訳し直せるだろう

文字言葉だけの世界で生きていくには 同情や共感の他にも やっぱり自分自身だけの力で感情や考えを言葉にして吐き出すしか手段がないように見える

これは茨の道に思える 今までやってこなかったことをやるわけだから その苦しみは何物にも代えられないだろう

俺が講じている対策には二つある

「人格間のノートやダイレクトメッセージにその日の気分をなるべく詳しく言葉にして書き込む」「考えるときに『なんで』を意識しそれを言葉にするよう努力する」

前者は誰にでもできることではない やろうと思うならみんなの場合は日記に書き込んで自問自答するのがいいかなと思う

後者はおそらくほとんど誰にでもできるかなと思う 些細な日常の何かに「なんで」を付加してその答えを自分で導き出すとかをやってみると 何かを言葉にする能力が養われるように感じている

あと何よりも大切なのは「文字の言葉にして表現することを要求される場所に身を置く」ことだろうと思う

これはネットで生きていればいずれぶち当たるのではないかなと考えている

必要に駆られれば人間は身につけようとするので

 

まとめると いやまとまってないかもだけど

・考えることが大事というのは俺は同意する

・意見を述べるには多くの言葉が必要

・感情や考えを言葉にして吐き出すにはたくさんの訓練がいる

・それをできない奴がいる

・できない奴はそもそも文字で何かを述べる必要がなかったからだ

・しかし文字で何かを述べられなくても生きていていい

・上の通り反論はできるやつでないとできない

・考える力は言葉の力

・なるべく言葉の力を鍛えるけれど限界はありそう

 

になるかな

この まとまらない言葉たちをいの一番に送りたいキミへ このブログ読んでるかな?

読んでたら DMして よろしく

 

ばいちゃ

疑問をぶつけろ/けもフレワールド感想およびネタバレ

いろんな考察を自前で掘り下げるのってーのは難しいわな

特に「これはああなってるからこうなるはずだ」みたいに世界を構築していくかのように考察を掘り下げるのは訓練やそこそこの知能が必要だと思うのよ で 俺には知能がそんなにない 全検査で119なのだ

そこで手軽だなーと思ったのが今日(昨日か)ダチに会って「些細なことにも疑問をくっつけていこう」という手法だった

例題として箸を取り上げるけれど「なんで箸は二本なの?」という疑問

そうするとテキトーでも曲がっていても急ごしらえで解答をつけることで無理やりに考察を深めていくことができる 例えば「一本だと刺すことしかできない」とかね

ここで難しく考えられるヤツらは「クリティカルシンキング」っつって的確に答えを出していけるんだろうけれど 俺にはまだ無理なのでひとまず些細な疑問を見つけていくことに終始していこうかなと思っている

これはあらゆることに応用が効きそうで 例えば俺が今やってる「なりきり」っていう遊びにも応用が利かせられる

「このキャラクター」は『なんで』こういう行動をするの?『なんで』こういう言葉遣いになるの?『なんで』この環境で暮らしているの?『なんで』別のキャラクターと絡んでるの?『なんで』この考えを持つに至ったの?『なんで』こう感じたの?などなど

一歩間違えば荒唐無稽な禅問答に陥りがちだが 疑問の持ち方や質問の仕方も繰り返していくことによって洗練はされていくと思うんだ まだ最初だから「下手な鉄砲」に終始してるんだと思う 数打ちゃ当たるんだ の精神

最初はそれでいいよな だって未経験だから最初は下手くそなのはしょうがない

というか これに関しては質問や疑問の持ち方を上手くすることが目的じゃなくて 疑問を持ってそれを解決することで世界観や考察を深めていくことが目的なのだから 上手い下手は関係ないんだ とりあえず世界を広げていくこと マイクラで言う所のブロック積みの下書きみたいなもんだ

前述した「疑問を用いない」方法はそのまま直で積み上げていくことだけれど

疑問を用いる方法はまるでそのブロックの積み上げ方に補助線を引っ張るかのような感じなんだ 補助輪っつってもいいな まあそういうこと 疑問に答えると自動的にそこにブロック置かれるよねってこと 世界観掘り下げスキルのブロンズランクだな

プラチナランクは 想像つかないな ゼロから橋作るみたいなことができるやつがプラチナランクだと思う

でもこれ思考のカロリー高いから難しいってのはあるんだよな 疑問に答えを出そうとすると「いやでも考える」だろ?それがカロリーを消費するんだわ

俺は雑で曖昧でチャラ男だから 考えるのそんな好きじゃないんだけど(でもけもフレとか考察すんの楽しい) 疑問を持つ手法を取り入れるといやでも考えるようになるから それで嫌になっちゃうってのがあり得ると思った 考えるのに慣れてないから疲れちゃうんだよね 考えるのって 俺みたいなアホには労力を要する行為なわけで 考えると疲れるし 考えだしたら必ず解決しないと気持ち悪いし

別人格のやつらは考えるの好きだから苦にならないんだろうけれど

あと「考えたら必ず解決しないと気持ち悪い」&「考えるのに慣れてないから疲れちゃう」っていう合わせ技が俺の最大の欠点だと思ってて これが重なると何が起きるかっていうと 『真の答えからは程遠い安易な解答に飛びつきがち』ってことにつながってしまうんだわ 考えるの疲れるだろ?で 解決しないと気持ち悪いっていう感情から 完全に無関係な事象に飛びついてしまうんだわ

これの何が良くないかっていうと例えば「残業が多い」って問題に対して「転職すればいい」みたいな複数ある選択肢のうちから一つしか選びとってこなかった挙句その答えの弊害(転職先の確保が難しい)や副作用(失敗した時のこと)やらを全部無視してしまうのね それが甘くてよろしくないって思ってる だから考える体力(長期間の思考に耐える)と選択肢を吟味する(選択肢の良し悪しを洗いざらい列挙する またはそのための体力を養う)思考の余裕も併せて鍛えていかないといけないなと思ってる

考察を深めていくのはボドゲに参加するための参加費みたいなところあるらしいことをダチから聞いたので まあ考えるように少しずつシフトしていこうねと言う話にまとまった

今の俺らはポーカーでカモれるけど カモってるのが立て続けば そしてカモった時の状況が似通えば それはCPUやbotを殴ってるのに等しく 勝った時の旨味が少ないから楽しくないのだ とのこと まあその通りだよね 同じ状況同じハンドで勝ったらそれは学びにもならないし 第一「人間味がない」わけだ そりゃ成長を要求したくなるよねってのがすげーわかる 反省したら次に生かしまーす はい

 

あとなんかあったかな

言語化って大事だねみたいな話をしたんだっけか 言葉にするのを億劫がって何もしないんじゃもったいないみたいな話が出てきた気がする やっぱ彼と話すと俺の栄養になるから嬉しい 本当 いつまでも話していたいが俺も話題を提供しなきゃいけないからタダでとは言えない コミュニケーションや会話ってのは通貨みたいなもので 情報を提供して提供されてを繰り返して初めてコミュニケーションになるんだからな 一方的に話をしてもらうんじゃ搾取になる それはフェアじゃないから俺は話題を提供したい訳だ

話はそれたが 要は言語化ってメチャクチャ大事だよなって話をしたんだった 頭の中に投影されたモヤモヤを誰からでも見える形で整理するのって大事どころの騒ぎじゃないよな もうそれ基礎だよな 脳みそって人間の間では繋がってないんだから言葉にしなきゃ伝わらないよなってこと

言語化ってなると 俺の別人格にいる「毛」ってやつがすげー強いから 彼に肖って俺も訓練してるんだけど まーむずいのなんの 「これ何て言えばいいんだ」とかいう語彙の問題から「これこの言葉で通じるんだろうか」のような表現の問題まで 何から何まで障害にぶち当たりまくるんだわ 毛はすごい ブログ見ても俺のとじゃ雲泥の差だろ 両方読んでる奴にはわかるよな

ま いいや 言語化大事 それと些細なことにも疑問を持つの大事 今日の事はそれに尽きるな

 

 

本題二個目 昨日はけもフレワールドの最終日に顔を出してきた コンセプトアートとか色々なことが見れたけれど 個人的収穫はセルリアン周りとヒトの扱いだったな

セルリアン周りの設定は個人的に興味深くて ネタバレ注意なんだけど(つってももう世に出回ることはないだろうが)火山の根元からセルリウムが溢れてきてそれがセーバルや四神の力で壊死崩壊してサンドスターになるってのが興味深かった

俺はぶっちゃけこの因果は逆転してると当初は思ってて サンドスターが反応することによってセルリアンやフレンズになるという世界観を持ってたのね でも公式だと逆だった 濾過されてないセルリウムがそのままセルリアンになって世に放たれるということらしい ちょっと意外だった

あと1期サーバルは3代目らしいこと キュルルは少年らしいこと キュルルはアプリ版の女王が取り込んだ少年のコピーらしいこと 色々衝撃的な設定が乱舞してたけれど俺がいいなと思ったのはこのセルリアンの設定ね

セルリアンはセルリウムから生まれて新しくセルリウムを生成することはないらしかった シャーペンとか鍵とかにくっつくとそれをコピーして形が形成されるとのこと

でかいと勝てないとか まあその辺は想像の範疇にある

ただ見落としたか忘れたかで思い出せないんだが「なんでフレンズを襲うの?」ってところはアプリで説明されてた以上のことは説明されてなかったな セルリウムはともかくサンドスターはいわばセルリアンおよびセルリウムの「カス」なんだろ?それを以て動物が少女化した対象に対して「かがやき」を感じるのは因果が逆転してないかな?って思った まあ説明がつけられるんだろうけれど

サンドスターがセルリウムの絞りかすならそこからは「かがやき」は喪失されてると考えていいと思うんだが どうだろう まあいいか いいよな いいってことで

あとくっついて新しく凶暴なセルリアンになったりするとかそういうことらしい スライムかよ この点についてはちょっと安直さを否めなかったりする あと後述する単細胞設定に齟齬が出そうとか思った

で セルリアンはその名の通りセルらしくて 「単細胞生物」なんだと だからモチーフにアメーバとかユーグレナがいるんだなーって思った 取り込みやすいもしくは模倣しやすいんだろうな

バスとかモノレールとかもそこそこガチってたな アレ系統の知識ないから詳しくなくて すげーとかそういう解像度でしかお伝えできないのが申し訳ない

説明下手だな俺 まあいいや

あと2期のちほーにも名前があるらしいことがわかった ポケモンみたいだなとか思ったけれどずっと黙ってた っていうかみんなその場で黙ってたから喋ってない

パークにはセントラルがあるってこともこの時知ったな

記憶が散逸しそうになってるからこの辺で

ばいちゃ

事業所モチベが最低に落っこちてる

表題の通り

俺らは去年6月にクビになって以来てんで職にありつけなくて同年11月に病院からの紹介で就労移行支援施設っていうところに通うことになったんだ 以下事業所で書く

でその時点では通えてたんだけど 職についてる時にもあった「急に体が動かなくなる」っていう不具合が発生して事業所通所に支障が出るようになったのね

それで個人支援プログラムで「週3で通おう」ってことになったんだけどそれも遂行が難しくて「このままだと企業の方にも紹介できない」って言われててずっと就職先の斡旋を遅らされてたわけ

これに俺らの別人格である「毛」ってやつが嫌気差してモチベがダダ下がりになっちゃったのね

それに引きずられるように俺も「先が見えねえ」つってグダグダになっちゃったわけ

一応朝は起きれるけれど行く気がしなくて 今日もそれで午後通所になっちゃったのさ

どうしたもんかね ってずっと悩んでる 一応事業所には面談コーナーがあるんだけどそこでもあんまり解決方法を練ってくれる感じがしなくてだんだん不信感抱いてくるようになってしまった 非常に良くないんだけど モチベをあげていかないことにはどうにもならなくてって感じで

通えば通うほど前に行けるという風でもないし 事業所でのプログラミング学習も最近頭打ちであんまりモチベが上がらない 就活したいのに気持ちばかり焦ってしまってうまくいかない 面接も3回落ちた 書類通すのでも何回か落ちてる 悲しいばかりの話だ

どうしたらいいんだろうな 誰か助けてくれ〜